アメリカでの国際モラハラ離婚

モラ妻からのモラハラ実例、そこからの学び、人生の立て直しを綴ります

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モラハラが治らない最大の理由

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モラハラが治らない理由

配偶者のモラハラを治そうとボロボロになりながら努力をしたにも関わらず、治すことは不可能だと断念した当事者として、モラハラが治らない一番の理由はこれだと思うものがあります。

それは、

本人がモラハラを治そうというスタートポイントに立てない

ことです。

これはなぜかと言うと、以下の三つだと思います。

1. 自分の非を認めることができない

2. 一度見下した人間の言葉を聞き入れることができない

3. 共感性の欠如

自分の非を認めることができない

僕は妻のモラハラを治して貰おうと、あまりに身勝手でおかしな言動は注意するようにしました。

その後の妻の反応の変遷を紹介します。

モラハラ加害者がいかに自分の非を認めることができないか、いかにモラハラを治して貰おうとする努力が空しいかが伝わると思います。

この努力を始めた初期は、妻は激高していました。これまで、大人しくやられたままだった人間が抵抗を示したことに驚き、どうして良いか分からず、激高し、暴言を吐き、自分がいかに正しく相手がいかに間違っているかを責め立てていました。

この時点ではすでに中毒でした。モラハラから得られる快感無くしては生きていけない状態でした。

論理も理性も吹き飛んで暴れていました。

その次は、嘲笑でした。「こういうことは傷つくから、辛いから、止めて欲しい。少し、考えて欲しい」と伝えると妻も義母もゲラゲラと嘲笑するようになりました。

笑いに逃げることはできても、謝罪したり、自分に非があるのかもと考えることはできないのです。

傷ついていると訴えている人を嘲笑で返すなんて、流石に尋常じゃないと伝えましたが、妻にも義母にも全く理解できないとのことでした。

「あんたがおかしいよ。おかしいものをみて、なんで、笑っちゃいけないの?」

これが妻の言い分でした。

その後は、何もなかったかのように話しかけてくるということが始まりました。自分に非はなかった、何も問題はなかったことにしたいのです。

それから、軽く蹴る、叩くなどの軽い暴力を使い、探りをいれるようになりました。妻からのメッセージは「ひどい暴力をふるってたときも、私、間違ってなかったよね。また、戻ってもいいよね。」ということです。

DV・モラハラを正当化して自分は何も悪いことはしていない、正しいことをしていると必死に思い込もうとします。

自分に非があるのかもという考えには一ミリたりとも近づくことが出来ません。

自分は悪くないという呪縛から逃れることが出来ないので、モラハラを治そうというフリをすることすらできません。

治そうとするということは、自分に問題があったことを認めることになるからです。

 

一度見下した人間の言葉を聞き入れることができない

モラハラ人間は、人間関係を相手は自分よりも上か下かという基準でしか見ません。

自分よりも下だとみなした人間を攻撃しコントロールすることで自分が上の立場の人間だと思い込もうとします。これが、モラハラをする理由です。

そして、自分が勝手に下だとみなした人間(配偶者やターゲットにした子ども)の言い分、とりわけ上の立場であるはずの自分が間違っているという主張は聞き入れることは絶対に出来ません。

モラハラ加害者は、ただでさえ、自分の非を認める能力が欠落しています。

その指摘が自分よりも劣った人間(←モラハラ加害者が自分で決めつけているだけ)からなされた場合は、絶対に聞き入れることができません。

自分の非を認めなければならない上に自分が心の安息を得るために拠り所にしている上下関係が崩れるからです。

自分と他の家族が対等だという考えを受け入れることが出来ません。

だから、被害者がどれだけ訴えてようとも、加害者は受け入れません。

受け入れないので反省することもなく、反省することが無いので治そうとすることもありません。

モラハラ加害者の心の中ってこの写真のような感じではないかと思います。

崖っぷちに立っていて、ちょっとでも自分の非を認めたり、自分が見なした上下関係が崩れてしまうとバランスを崩して崖から落ちて死んでしまう。

そんな不安と緊張感の中にずっといるのではないでしょうか。

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共感性の欠如

自分が間違っていると認めなくても、共感性があればモラハラを治そうとするかもしれません。

パートナーが傷ついていると訴えたときに、その理由は理解できなくとも、自分の痛みとして感じる能力があれば自分の言動を改めようとするはずです。

しかし、モラハラ加害者はこの能力を著しく欠損しています。

僕の妻と義母のように「傷ついている」と訴えている人間に対して、嘲笑で返すのは、もう、人間の所業ではないです。

僕にとっては、激高よりもこの嘲笑の方が辛かったかもしれません。

自分は、人間ではない何か得体の知れないものと対峙しているだと思いました。

意図していなくても、誰かに自分の言動で傷ついたと訴えられたら、嘲笑で返す人はほとんどいません。

まずは、傷つけてしまったことを謝罪します。

さらに理解できない場合は、なぜ、傷ついたのか教えて欲しいと尋ねます。

そして、その理由が理解できない場合でも、その原因になった言動は慎みます。

そもそも、傷ついた理由を聞いて、なぜ傷つくのか全く理解できなかった経験のある人などいるのでしょうか?

 

そんな中、真正モラハラ加害者の中には、人と物を区別することができない脳の機能障害を持った人がいるというブログ記事を読みました。とても有名な記事なのでご存知の方も多いと思います。

サンドバックを殴ったり蹴ったりすることに何の良心の呵責もありませんが、これを無抵抗の生身の人間でするとなったらどうでしょうか。大きな良心の呵責と罪悪感を感じる人がほとんどです。

これは、人間の脳に物と人を区別して認識する能力があることを示します

真正モラハラ加害者の中には、この能力が欠落した人がいるのです。人と対峙しているのに脳の中で物に反応する部分が動いている状態です。

人を傷つけているのにサンドバックを相手にしているのと同じ感覚しか持つことが出来ず、罪悪感を持つことが出来ないのです。

これを知ったとき、妻と義母の嘲笑の理由が分かりました。

イラついてティッシュの箱を蹴り飛ばしたら、そのティッシュの箱が痛いから止めてくれと言ったのです。それは、少し笑ってしまうかもしれません。

 

それから、もう一つ、納得した妻の異常な言動ががありました。

我が家には二人の男の子がいます。

妻は長男を虐待し次男をこれでもかと溺愛しています。義母ですら、あまりに差をつけ過ぎだと妻を諭していたくらいです。

虐待する方を搾取子、溺愛する方を愛玩子と言います。児童虐待では、すべての兄弟姉妹へ平等に虐待をするよりも、このように一人の搾取子を選び集中的に虐待をする方が一般的です。我が家の場合もこれです。

僕はこれを妻に問い詰めたことがありました。

「なんで、同じ自分の子どもなのにそんな差をつけて接するの?」

妻の答えはこうでした。

「一方の子どもが可愛くて、もう一方が憎たらしいのだから、そんなの当たり前じゃない!そんなことも分からないなんて、あんたバカなの!!」

このときは、まさに空いた口が塞がらない状態で、呆れて何も言い返せませんでした。

しかし、人と物の区別がつかない、自分の所有物と見なしてしまうと人でも物として認識するようになると理解するとこの意味が良く分かりました。

少し意訳してあげると妻が言ったのはこういうことです。

「私にはお気に入りのおもちゃと普通のおもちゃがある。お気に入りの方をより大事にするのは当たり前じゃない!」

そうですね。

おもちゃなら何の問題もありません。でも、彼らは人間なのです。

 

治そうと決意しても難しい

関連情報やブログを拝見すると、何らかのきっかけで、モラハラ加害者がモラハラを治そうと決意することがあるそうです。

しかし、そうやって決意したとしても簡単にはいかない、時間がかかるという情報がほとんどです。

僕の妻はこのモラハラを治そうというスタートポイントに立つことが全く出来ないし、まわりにも該当する人がいないので、これは僕の実体験ではありません。

本人が治そうと決意しても時間がかかること、結局治らなかったという結末も十分にあり得ることは簡単に想像できます。

僕は自分のまわりでモラハラ人間を何人か見つけることはできましたが、治そうと決意した人を知りません。ネット上で数人見つけただけです。

やはり、「モラハラを治そうというスタートポイントに立てない」が、モラハラが治らない一番の理由でしょう。

モラハラ加害者の中で何%の人が治そうと決意できるのか情報をお持ちの方はお知らせ下さい。

 

まとめ

モラハラが治らない一番の原因は加害者が治そうという思いに至らないから。

モラハラをしていることを間違っていると認めることが出来ないので、反省することもなく、治す必要性も感じない。感じたくない。

自分が勝手に見なした上下関係が崩れることを極端に恐れるので下に見下した人の意見を受け入れることができない。

人を物として認識してしまうので罪悪感すら感じない。この意味でも治す必要性を感じない。

仮に治そうと決意できても難く時間がかかる。