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「鬼滅の刃」はDV・モラハラとの戦いを象徴している|徹底考察!

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「鬼滅の刃」はDV・モラハラとの戦いを象徴している

漫画・アニメ『鬼滅の刃』を観て、私はある確信を持ちました。それは、この物語がDVやモラハラとの戦いを象徴しているということです。

本記事では、『鬼滅の刃』の物語や登場人物のセリフを通じて、DV・モラハラの本質やその影響、そして克服のヒントを考察していきます。

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「鬼」はDV・モラハラ加害者のメタファー?その象徴的な意味

『鬼滅の刃』は、人を喰う「鬼」と、それを討伐する「鬼殺隊」の戦いを描いた物語です。

特に印象的だったのは、主人公・竈門炭治郎と「虫柱」胡蝶しのぶの会話です。

特に印象的だったのは、主人公・竈門炭治郎と「虫柱」胡蝶しのぶの会話です。

炭治郎:「どうして俺たちをここへ連れて来てくれたんですか?」

しのぶ:「夢を託そうと思って。鬼と仲良くなる夢です。炭治郎君ならできます。」

炭治郎は、しのぶから怒りの匂いを感じ取ります。

炭治郎:「怒ってますか?なんだかいつも怒っている匂いがして。」

しのぶ:「そうですね。私はいつも怒っているかもしれない。鬼に最愛の姉を殺されたときから、鬼に大切な人を奪われた人の涙を見るたびに、絶望の叫びを聞くたびに、私の中には怒りが蓄積され膨らんでいく。体の一番深い所にどうしようもない深い嫌悪感がある。

私の姉も君のように優しい人だった。姉は鬼に同情していた。死ぬ間際ですら鬼を憐れんでいた。

私はそんなふうに思えなかった。

人を殺しておいて可哀そう?そんなバカな話は無いです。

でも、それが姉の思いだったなら、それを私が継がなくてはと。。。

だけど、疲れました。自分を守るために、鬼はいつも嘘をつく。理性をなくし、むき出しの本能のままに人を殺す。」

このセリフを聞いたとき、私は鬼をモラハラ加害者の象徴として捉えました。

鬼は、自分を守るために嘘をつき、理性を失い、本能のままに人を傷つけます。これは、モラハラ加害者の行動と非常によく似ています。

自分を守るために嘘をつき、理性なく、本能のままに相手を殺す

モラハラ加害者は、虐待を受けたり、愛されない家庭環境で育った結果、モラハラという形で他者を傷つける存在へと変わってしまいます。彼らは、確かに同情されるべき幼少期を過ごしてきたのです。

私の元妻もそうでした。

モラハラ加害者は、もともとはモラハラ被害者だったのです。

彼らが同情されるべき存在であることは、痛いほど理解しています。

しかし、その過去を理由に加害を正当化できるでしょうか?

これほどまでに人を傷つけておきながら、「可哀想だから」と許されるべきなのでしょうか?

私には、その理不尽を受け入れることはできません。

同情されるべき背景を持っていることは理解できます。

しかし、彼らのあまりにも残酷な行為を目の当たりにすると、心の奥底から拭い去ることのできない深い嫌悪感が湧いてきます。

私は、元妻に対して同情と嫌悪感、その両方の感情を抱えています。

元妻は、愛されない幼少期を過ごし、ようやく手に入れた甘えられる存在が夫でした。彼女は、満たされなかった愛情を取り戻そうと、過剰な甘えを夫にぶつけます。それがDVでありモラハラです。本来なら親からは何があっても無条件の愛情を得られるものですが、それが条件付きの愛情であったため、配偶者に無条件の愛を強いるのです。これだけ酷いことしても、言っても私を見捨てないよね?愛してくれるよね?と本来得られるはずだった無条件の愛情を取り戻そうとします。

元妻の抱える愛情への飢えや孤独の深さを思うと、確かに同情の気持ちはあります。

しかし、だからといって、続くDVやモラハラを容認することなどできません。

同情と嫌悪感がせめぎ合うからこそ、しのぶさんの気持ちが痛いほど分かるのです。

それでも、できることなら——

私は元妻と仲良くしたかった。

「辛い幼少期を過ごしたかもしれないけど、何とか、ここまで来たよね」と彼女のDVモラハラを共に克服して話せる日がくれば良かったのにと思います。

おそらく叶うことのない夢ですが、それでも、その思いを捨てることができません。

このシーンでは、鬼と元妻が重なり、しのぶさんの心情と自分の気持ちが重なり、涙が止まりませんでした。

そう、私だって——

本当は、離婚なんてしたくなかった。

本当は、子供たちとずっと一緒にいたかった。

本当は、できることなら、仲良く普通の家族になって暮らしたかった。

なぜ鬼は人を喰うのか?

鬼は人間を喰うことで生き延び、力を増していきます。彼らは強い飢餓感に襲われ、それを満たすために人を襲うのです。

モラハラ加害者もまた、精神的な飢餓感を抱えています。

彼らは、他者を貶め、支配することでしか自己の存在を保つことができません。

被害者を精神的に食い尽くしながら生きる——それが、彼らの生存の手段なのです。

人が鬼になる方法

鬼はもともと人間でした。彼らは、鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)という鬼の頂点に立つ存在から血を分け与えられることで鬼へと変貌します。

この「血を与えられ鬼になる」という構造は、モラハラの発生源ともいえる親子関係に似ています。親のモラハラ気質が子へと受け継がれ、次世代へとコピーされていく様子を象徴しているように思います。

鬼舞辻無惨というキャラクターは、まさにモラハラの権化とも言える存在です。彼は単に鬼たちの頂点に君臨するだけでなく、恐怖と支配で彼らを操り、自身の支配下に置き続けます。その振る舞いは、まるでモラハラ加害者の典型とも言えるでしょう。

やはり、鬼はモラハラ加害者を象徴しているのではないでしょうか。

また、DVモラハラ加害者(人格障害者)の中には、大きな社会的成功を手に入れる人もいます。鬼舞辻無惨も表社会では成功者として描かれています。

敵味方双方に描かれる家族の物語

『鬼滅の刃』では、鬼と鬼殺隊の戦いが主軸となる一方で、それぞれの過去にも深く踏み込んでいます。鬼がどのようにして鬼となったのか、鬼殺隊員がなぜ戦う道を選んだのか——そうした背景が繊細に描かれています。その中でも、最も多く描かれるのが「家族の物語」です。

鬼も鬼殺隊員も、それぞれに悲しい家族の物語を背負っています。

主人公・竈門炭治郎とヒロイン・竈門禰豆子(ねずこ)は恋人ではなく、兄妹です。炭治郎の家族は、鬼によって無惨に殺され、生き残ったのは妹の禰豆子だけ。しかし、彼女は鬼へと変えられてしまいました。

このように、『鬼滅の刃』は家族というテーマを深く掘り下げ、DVやモラハラなど、現実世界の家庭内問題を象徴的に描いているように感じます。鬼殺隊も鬼も、悲しみと喪失を抱えながら、それぞれの信念を持って戦っているのです。

炭治郎が鬼と戦う目的

炭治郎は、鬼舞辻無惨から血を与えられ鬼へと変えられた妹・禰豆子を人間に戻すために鬼と戦っています。

この姿は、モラハラ配偶者と向き合い、毒親の影響が子供に及ばぬよう努力し、愛情を注ぐ人々の姿とも重なるのかもしれません。

私も、その一人です。

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ある日、次男が私のノートパソコンにテープでメッセージを貼っていました。

「芝刈りをして、もっと働け。あんたは意地悪だ。」

「意地悪だ」と相手を傷つける言葉を使いながら、一方で「自分たちのために働け」と要求する。その姿は、母親の言葉を無意識にコピーしているのかもしれません。子供にモラハラ気質が受け継がれていく様子を目の当たりにするのは、胸が締めつけられる思いです。

それでも、私にできることは一つ。

「働くよ。パパは意地悪じゃないよ。」と笑顔で優しく伝え続けること。

「“Please cut the lawn. Thank you.”って言った方が良くない? 誰に対しても、そう伝えるといいよ。」と、根気強く教えていくこと。

炭治郎は、どんなに酷い目にあっても、決して心を曇らせない優しい人間です。

私も彼のように強く、優しくありたいと思います。

鬼が嫌う藤の花と日光

鬼が苦手にしているものの一つが、藤の花と日光です。

藤棚に咲く紫の花は、とても美しく目を引きます。その藤の花言葉には、「優しさ」「決して離れない」「歓迎」「恋に酔う」といった意味が込められています。

これらの言葉は、まさにモラハラ家庭とは対極にある、温かく思いやりに満ちた家庭を象徴しているように思えます。愛情と思いやりにあふれ、家族が互いに支え合いながら、新しい命を迎え、育ち、やがて子供たちが恋をし、新たな家庭を築いていく——そんな健全な家族の在り方を思い起こさせます。

一方、鬼は日光に当たると死んでしまいます。

これは、モラハラ加害者が自らの悪行を白日のもとに晒されることを極度に恐れる姿と重なります。

モラハラ離婚の調停の場でも、「最低の妻(夫)に最低だと言って何が悪いんだ」といった本音を堂々と言うモラハラ加害者はほとんどいません。彼らは自分の行為が間違っていることを理解しており、それが公になることを恐れているのです。

私はかつて、元妻にモラハラに関する記事を渡し、読んでほしいと頼んだことがあります。彼女が自分の行いの本質に気付き、変わってほしいと願ったからです。

しかし、彼女は読もうとすらしませんでした。読んだのか尋ねても、返事をせず、無視するだけでした。

モラハラ加害者は、自分の内面ですら、自らの悪行と向き合うことを避けようとします。

鬼が日光に当たると消滅する——この設定は、そうした心理を見事に表現しているように思います。

一生懸命生きている優しい人たちが虐げられる

最近のコミックの一場面で、鬼に心と体を乗っ取られそうになる炭治郎へ、禰豆子が語りかけるシーンがあります。

「お兄ちゃん独りにすべて背負わせたね。」

「どうしていつもお兄ちゃんばかり苦しい目にあうのかなあ。」

「どうして一生懸命生きている優しい人たちが、いつもいつも踏みつけにされるのかな。」

「悔しいよ、お兄ちゃん負けないで。鬼になんてなっちゃだめ。帰ろうね。家に帰ろう。」

この言葉は、モラハラ被害者の心にも深く響きます。

モラハラ被害者は、時に誰にも言えず、一人ですべてを背負い込みます。

彼らはみんな、一生懸命に生きている優しい人たちです。

それなのに、いつも踏みつけにされてしまう。

彼らの多くは、幸せで穏やかな家庭を持ちたいと強く願っています。しかし、その願いが叶わない現実に苦しみ続けています。

また、このシーンでは、モラハラ被害者が加害者へと転じてしまうことの悲劇も改めて描かれています。

そんな傷ついた人々へ、禰豆子の言葉は共感と優しさに満ちています。

モラハラ被害者として、この場面には涙が溢れました。

親から子へのモラハラ連鎖を断ち切るヒント

『鬼滅の刃』で私が一番好きなキャラクターは、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)さんです。彼もまた、悲しい家族の物語を背負っていますが、決して弱音を吐かず、強く、思いやりのある兄貴肌の人物です。

彼は最後に壮絶な戦いの末に命を落とします。しかし、死に際にも恨み言ひとつ言わず、思いやりに満ちた言葉を遺して旅立ちます。

私も、杏寿郎さんを見習い、子供たちに決して母親(妻)への恨み言や悪口を言わないと誓っています。妻の方は、子供たちの前でも平気で私にモラハラ攻撃を仕掛け、面前DVを行います。悪口を吹き込み、子供たちを使って攻撃してくることも少なくありません。

喉元まで彼女への恨み言が込み上げることもありますが、杏寿郎さんを思い出し、ぐっと堪えています。

煉獄杏寿郎の母が遺した教え

杏寿郎さんが幼い頃、母親から言われた言葉に、子供をモラハラ加害者にしないための大切なヒントがあるように思いました。

:「あなたはなぜ、そんなに強いのか、人並み外れた才能を持っているか分かりますか?」

杏寿郎:「なぜですか?」

:「弱き人を助けるためです。」

才能の使い方が人格を決める

モラハラ加害者は、時に素晴らしい才能を持っています。

私の元妻もそうでした。有名大学の医学部を数年飛び級で卒業し、博士号も複数持っています。さらに、日本語が母国語ではないにもかかわらず、日本語検定の1級を取得するほどの能力を持っています。

しかし、その才能をすべて自分のためだけに使い、さらに他人をも自分のために利用しようとする。

この場面を見て、もし才能を「他人のために使う」という発想があれば、モラハラ化を防ぐことができるのではないかと感じました。

私の息子たちは、学校でトップクラスの成績を収め、サッカーでも選抜チームに選ばれるほどの努力家です。

しかし、その努力の一部は、母親の条件付きの愛情(「成績が悪ければ愛さない」)によるものです。

こうして、「頑張らない自分=愛されない」という価値観が植え付けられ、自己肯定感を喪失してしまう。その結果、自己肯定感を満たすために他人を攻撃する——こうしてモラハラの連鎖が生まれるのです。

子供に伝えたいこと

杏寿郎さんの母の教えを、私も長男に伝えてみようと思いました。

「君が勉強やスポーツにおいて才能に恵まれていることを、パパは知っているよ。」

「なぜ、そんな才能を持っていると思う?」

「日本のアニメを見て思ったのだけど、それは他の人を助けるためだと思う。」

「だから、その才能のすべてを自分のためだけに使わないでほしい。困っている人のために使ってほしい。」

「君が勉強やサッカーを頑張っているのは知っているよ。でも、それで良い成績を取ったり、選抜チームに選ばれたりするのは、単に運が良かったからだということを忘れないでほしい。」

「世の中には、どんなに才能があっても、どんなに努力しても報われない人がたくさんいる。」

「どんな成功を収めても、それは決して自分の力だけで成し遂げたと思わないでほしい。」

「その成功と才能を、他の人のためにも使ってほしい。」

息子は、「分かった」と言ってくれました。

親から子へのモラハラ連鎖を断ち切るには、ただ虐待をしないことだけでなく、正しい価値観を伝えていくことが必要なのだと感じます。

「鬼滅の刃」はDV・モラハラとの戦いを象徴している

私の勝手な解釈ですが、『鬼滅の刃』はDVやモラハラを描いた物語だと確信しており、何度も涙を流しながら視聴しました。

思い出しながら書いているだけで涙がこぼれてきます。

うろ覚えな部分もあり、実際のセリフと少し違うかもしれませんが、ご了承ください。

アメリカに住んでいて感じることですが、日本のアニメのレベルは本当に高い!

さらに、『鬼滅の刃』は全く引き延ばすことなく、潔く最終回を迎えたことも賞賛されていますね。

この物語がDV・モラハラとの戦いを象徴していると考えながら見直すと、新たな視点で楽しめるのではないかと思います。

『鬼滅の刃』は英語では『demon slayer』と言います

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