アメリカでの国際モラハラ離婚

モラ妻からのモラハラ実例、そこからの学び、人生の立て直しを綴ります

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自分の得になること以外は何もしたくない

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我が家のNative English Speakerに英語の添削をお願い

7月6日はNational Institute of HealthのR01 grantという研究費の申請の締め切りでした。

7月5日は日曜日ですが、一生懸命、申請書の改善を続けていました。

当然、すべて英語で書かなくてはいけません。その上で、Native English Speakerでない僕の書いた申請書は、Native Speakerの添削を受ける方が必要があります。一度、添削は受けていましたが、その後の変更部分の添削が必要でした。

そこで、我が家のNative English Speakerの長男に頼んだのです。

お勉強は好きな長男ですから、はじめは楽しみながらやっていなのですが。。。

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Image provided by White77 via Pixabay

金をとれ!

また、モラ妻の「金をとれ!」の怒声が飛びます。

「そうだパパ、$50くれたら、添削する。くれないならやらない。」

悲しいですね。

家族の間の助け合いで金銭のやり取りが伴うのが当たり前だと思っている。

しかも、中学生にお願いする10行ほどの英語の添削で$50なんて。。

 

得にならないなら絶対やらない

そんなのおかしいよと伝えましたが、長男は、全く引き下がりませんでしたね。

残念ですが、僕の子供達はどんどんモラハラ加害者化して行きます。

「すべての出来事を損得勘定で捉え、自分の得にならないことは一切やらない」という、モラハラ人間の特徴がすでに備わっています。

 

この一連の会話の中でも、長男は、何とか$50を手に入れようと、気持ちの悪いモラハラ論法を使っていました。

「じゃ、パパが芝刈りとか、庭の手入れをしたりしたときは、お金を払ってくれるのか?君らが寝坊してスクールバスに間に合わなかったときに学校まで車で送ってあげるけど、それもパパはお金を請求しても良いの?」

「親が家の手入れをしたり、子供の面倒を見るのは当然でしょ。でも、子供が親のために何かしなければならないってあり得ないでしょ。だから、子供が親のために何かしたときは、お金を払うのが当然じゃないの?」

もう、ダメだこりゃ状態でした。

他の人が自分に対して無償で何かをするのは当然。逆は、報酬なしではやりたくない。これもモラハラ人間の特徴ですね。

そして、自分にとって都合の良い部分だけを議論に拾い上げる。

子供が親のために何かをしなくてはならないってことはないかもしれない。

でも、移民二世の子供達が親の通訳を務めたというのは、アメリカ移民の歴史でも広く知られている事実です。そういう都合の悪い部分には、全く触れない。

「お前、どんどん、嫌な奴になるな」って思わず、日本語でつぶやいてしまいまいた。

 

もう、思うことだけ話して終わろう

もう、あまり、多くを話しても仕方ないって思ったので少しだけ、伝えたいことを言いました。

「パパの提出する研究費の申請だけど、誰が審査するか知っているかい?」

「誰だよ?」

「パパも知らない。でも、一つだけ確実なことがある。それは、パパではないってこと。パパの出した研究費の申請書をパパ自身が評価してスコアを付けることは出来ない。必ず、パパ以外の人が点数をつける。パパがこの研究費を獲得できるかどうは、必ず、パパ以外の人が決める。君がこの先、人生で成功するかどうかも、君自身では決めることが出来ない。必ず、誰か他の人が決める。それだけ覚えておいて。」

It does not make sense. (そんなわけないよ)

「もう、これに関してはパパは、もう、何も言わない。自分の成功を自分で決められると思っているなら、どうぞ、それを信じれば良い。」

「例えば、パパがプロモーションされる(出世する)かどうかは、パパではなくパパの上司が決めるってことでしょ。」

「それもあるね。だから、誰に対しても親切にして、少しでも良い人間、マシな人間になる努力を続けることが大事だと思うんだ。」

「良い人間になるなんて、僕には、そんなことは必要ない。どうしてだと思う?僕はその上司の立場に上り詰める人間だからさ。自分の成功を他人に決めらてしまうのは、下っ端の人間だよ。

また、思わず日本語で「学校の勉強はできるかもしれんが、バカ過ぎてたまらん」と言ってしまいました。

「もう、英語は見てくれなくていいから。$50も払わない。嫌な人間に見て貰って、研究費が獲れても嬉しくないから。自分で何とかするよ。」

 

 気軽に行こうかな

これまで、子供達をモラハラ人間にしてはいけないと強い使命感を持ってがんばってきましたが、半分、さじを投げてしまった方が良いのかなと思い始めました。

 ある程度、思うことだけは伝えて、それで子供達が理解できなくても気にしない。

その後は彼らの選択と人生。

モラハラなんかやっている母親よりも、そんなこと一切しない父親の方が、幸せそうにしているの姿を子供達へ見せる方が、モラハラ人間なんかになるんじゃない!って必死になっているよりも効果的なんじゃないかと思い始めました。

 いろんな学びの機会を得ながら、子供達が良い方向へ向うのをパパは信じてるよって、気楽な空気を出して、ニコニコしている方が良いように思えてきました。

今は、母親と同じように自分がモラハラ人間になると、どうなるかを学んでいる時期なのかもしれません。いつか子供達が良い方向へ向かうために必要な学びの時期なのだと信じることにします。