僕の結婚生活が終わった瞬間
「モラハラは辞めて欲しいとストレートに伝える」モラハラ対処法が紹介されています。
この方法で治るのは、相当な軽度のモラハラ人間だけだと思います。
我が家のモラ妻の場合は、全く無理でした。
モラハラは傷つくからやめて欲しいと訴えたとき、妻は義母と一緒になって僕をゲラゲラと嘲笑しました。
今思えば、モラハラ妻との結婚生活が終わった瞬間です。
2019年9月28日の出来事
僕が妻からDV モラハラを受けていることに気付いたのは2019年7月1日でした。
その後は、何とか関係修復を目指しましたが、どうにもなりませんでした。
モラハラは治りません。その言葉を実感する毎日でした。
そんな中、シンプルにモラハラをやめて欲しいと妻に訴えました。
モラハラ対処法として紹介されていたものの一つです。
「死ね」とか「出ていけ」とか「顔を見るだけでムカつく」とか毎日のように言われるのは傷つくから辞めて欲しい。
そう言いました。
そのに対する妻の反応は、心の底からバカにした様子での嘲笑でした。
その時は、同居していた義母にも何かを耳打ちして、二人でゲラゲラと嘲笑しました。
傷ついていると言っている人に嘲笑で返すのはさすがにおかしくないかと抗議しましたが「おかしいものを笑って何が悪いの?それがおかしいなんて言っているあんたがおかしいよ。」という全く心のない返答でした。
かなり傷ついた出来事でしたが、自分は人間ではない得体の知れないものと対峙していると思いました。
次の日の結婚記念日には何事もなかったかのように
この次の日は偶然ですが結婚記念日でした。
仕事に行こうと車に乗り込んだ僕に妻が近づいてきました。
「今日が何の日か知っているの!?」
昨日のことは何事もなかったかのようにキスをしようとしました。
僕はどうしても受け入れることが出来ませんでした。
「何の日かは知っている。でも、申し訳ないけど、そんな気持ちにはなれない。」
そのまま仕事に行きました。
モラハラ人間(自己愛性人格障害者)は、自分の非を認めることができないので、こうやって何事もなかったかのように振る舞うことがあります。
また、詭弁、屁理屈、論点のすり替えを行い、自分に問題があるのかもしれないという可能性からは何としても逃げ続けます。
自分に問題があるかもという考えには一ミリたりとも近づけません。
実際には、まだ、離婚裁判中ですが、僕の中ではこの日結婚生活は終わりました。
僕の結婚生活がぴったり14年間で終わったのは何か意味があることだと思います。
この日の出来事があるが故にどうあっても離婚を取り止めることは出来ません。
アメリカでは、離婚の申請を裁判所に出した日に離婚が成立したものとして扱います。
申請を出した日に離婚は成立するが、その後の裁判は離婚の条件を決めるプロセスという形をとります。レトロアクティブと言ったりします。
だから、僕の離婚は、2020年3月30日に成立することになります。
いづれにせよ、僕の中では離婚は成立しています。
愛する人に絶対にしないことは何ですか?
僕の答えはモラハラです。
貴方の言葉に傷ついたと言われて、それを嘲笑で返すことは、僕は絶対に誰に対してもしません。
今までもしたことないし、これかもしません。
その言葉が自分が心から愛する人から発せられたなら、なおさら、絶対に嘲笑したりしません。
謝罪します。
妻は僕のことを愛してはいないか、それ以上に大事なものがあるのでしょう。
その大事なものとは、自分の非を認めないことであったり、自分の内面から来るイライラを家族を虐待することで解消することでしょう。
子供達には、妻は僕のことを愛していると語ったそうですが、それが愛なら、僕とは愛の定義が違いすぎて一緒には居られません。
仮に子供達の前で、このことをモラハラ妻に問い詰めたら、どういう反応が返ってくるかだいたい予想ができます。
「これが私の愛の形、あなたが私を愛しているなら、あなたが私の愛し方を受け入れるべき」と、何だか、こちらが悪いかのような詭弁を使う。
もしくは、「傷ついたと言ったあなたを元気づけたくて笑顔を返した」なんて言うでしょうね。
どちらも気持ち悪さ最大値です。
まとめ
この対処法で治るのは、軽度のモラハラ人間のみだと思います。
傷ついていると伝えたらすぐに「傷つけているとは知らなかった。すまない。次からはちゃんと伝えて欲しい」くらいの応答が返ってくる人以外は、治らないでしょう。
言い訳をしたり、自分は絶対に悪くないと屁理屈を並べるようなモラハラ加害者は、この対処法では絶対に治りません。
我が家のモラ妻は結婚して、僕に謝ったことは一度もありません。
その日、目の前で起きた自分の間違いを認めて反省し謝罪することすら出来ないモラハラ妻が、結婚して14年間自分が間違いを犯していたことを認めることは絶対に出来ません。
おそらく、一週間ですら、自分が同じ間違いを犯し続けたことを認めることは出来ません。
詭弁、屁理屈、嘲笑を使い、反省と謝罪という行為からは逃げ続けます。