片親疎外を行う疎外親の大前提
片親疎外とは、一方の親(疎外親)が、子供を操り洗脳して、もう一方の親(標的親)へ嫌悪感を抱かせて拒絶するように仕向けることです。
標的親を拒絶するように子供を洗脳しておいて、子供が拒絶を示せば、今度はそれを根拠に自分の行っている片親疎外を正当化します。
「子供は自身があなた(標的親)を嫌っていて会いたがらない。あなた(標的親)が問題のあるダメな親であることを子供は認識している。」
僕は標的親の立場でこれを経験しています。
さて、ここで、疎外親が使う大前提が「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」です。
この大前提は正しいでしょうか?
この大前提は正しくないどころか、むしろ正反対です。
疎外親は人格障害者
酷い片親疎外を行うのは、自己愛性もしくは境界性人格障害者です。
これらはモラハラ、DV、児童虐加害者が持つ人格障害です。
片親疎外は児童虐待であると同時にDVでもあるので辻褄があっています。
僕が離婚するモラハラ妻は今は片親疎外に集中していますが、以前は、僕だけでなく、子供を虐待していました。
子供への暴力暴言などの虐待が片親疎外という別の形態の虐待に移行しただけです。
そして、標的親の方が必ずまともな親です。
標的親の多くが経験する不思議
おそらく僕と同じ経験をした標的親が沢山いると思います。
自分は子供への虐待もしなければ、もう一方の親を嫌うように仕向けるような片親疎外も行っていない。
でも、もう一方の親は、子供を虐待もするし、片親疎外という毒まみれの環境を子供に強いている。
それでも、子供は、虐待を行う疎外親の側に立ってしまう。疎外親の策略にハマって自分を拒絶し攻撃するようになっている。
標的親のほとんどがこれを経験していると思います。
標的親が経験するのは、疎外親が使う大前提「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」の真逆です。むしろ、子供は「自分を虐待する問題のある親との距離を縮めたがる」のです。
そもそも、なぜ、こんなことが起きるのでしょうか?
1950年代の実験
昔、ロボットのサルの母親を使って酷い実験をした人がいます。
そのロボット母ザルに子ザルを虐待させるのです。
その結果、子ザルは、虐待を受ければ受けるほど、その虐待をしたロボット母ザルに執着を示すようになり、より強くしがみつくようになりました。
ラットを使った実験でも同様の結果が出ています。
つまり、疎外親の理屈は、むしろ正反対です。
そして、標的親の多くが経験していることが事実であり現実です。
子供は、虐待を受けると、虐待をした親を嫌うのではなく、より強い執着と愛着を示すようになります。
これが、子供が自分への虐待さえ厭わない、人格障害を抱えた親の側へ寄り添い、親としてはまともな標的親への拒絶と攻撃をする理由です。
真剣に子供の立場に立つと理解できる
ほとんどの人には、サルの実験結果なんて必要ないのではないでしょうか。
自分では生きていく力の全くなかった子供時代を真剣に思い出してみて下さい。
そのころの自分に真剣になり切ってみて下さい。
もし、そのころに多くの時間を一緒に過ごす(仮に)母親から、虐待を受けたら自分はどうなっただろうかと想像してみて下さい。
幸い僕は虐待のない子供時代を過ごさせて貰いましたが、想像することはできます。
僕は、僕の子供達が母親から受けてきた虐待を見て来ました。
虐待者は、いつも虐待する訳ではなく、ときに飴を与えます。
もし、僕が同じような虐待を母親から受けたら、そして、ときどき、母親は異常に優しかったら、僕はどうしたかと想像できます。
きっと母親からのより多くの愛情を得ようと虐待者である母親により執着したと思います。母親から愛情を得ようと、何をしたら喜んで貰えるかと、嫌われる(虐待される)ことをしないようにと、必死になったと思います。
みなさんもそのように想像しませんか?
それが子供の生存本能です。
まとめ
疎外親が使う大前提「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」は間違っています。むしろ正反対です。
ある程度成長して、親に頼らず自分の力で生きて行けるようなったころには、この理屈は正しいです。
疎外親は人格障害者で、他者への共感性を全く持ちません。自分が子供の立場に立つことができません。
共感性が大きく欠けるので、大人になった今の自分の理屈「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」を自分の子供に当てはめます。実際には子供はそんな発想をしないと想像することができません。
標的親の方には自信を持って欲しいです。自分が標的親となり、相手が疎外親であり、子供が疎外親の側に立っているならば、それは、あなたがより健全な親であり、相手が問題多き親であることを証明しています。
片親疎外に精通したあるセラピストが上手な表現をしていました。
「片親疎外の過程では、子供は自分をより不安にさせる親を選ぶ。」