片親疎外を行う疎外親の大前提
片親疎外とは、一方の親(疎外親)が、子供を操り洗脳して、もう一方の親(標的親)へ嫌悪感を抱かせて拒絶するように仕向けることです。
標的親を拒絶するように子供を洗脳しておいて、子供が拒絶を示せば、今度はそれを根拠に自分の行っている片親疎外を正当化します。
「子供は自身があなた(標的親)を嫌っていて会いたがらない。あなた(標的親)が問題のあるダメな親であることを子供は認識している。」
この疎外親が使う大前提「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」は必ずしも正しくありません。
そして、現在、僕が経験している現実もこの前提が間違っていることを示しています。
現在、僕が経験しているのは、搾取子の方が、片親疎外の洗脳を受けやすい事実です。
愛玩子と搾取子
親から子供への虐待は、すべての兄弟に平等に行われることはありません。
一人の子供を選んで集中的な虐待が行われます。
虐待を受けるのが搾取子です。
これは虐待者が数的な優位を保つための戦略です。
3人の兄弟を全員虐待して、3人が団結して反抗すると、3対1の対決構造となり、虐待親は数的な優位が保てません。
これを避けて数的な優位を保つため、虐待者が常に多数派に属すために、一人の子供を選んで集中的な虐待が行われます。
搾取子以外の子供が中立な立場になっても、数的な優位が脅かされるので、虐待親は搾取子以外の子供に異常な愛情を注ぎ甘やかします。これが愛玩子です。もしも、搾取子が歯向かってきた場合、愛玩子に自分の味方について貰うために、異常な愛情を注ぎます。
我が家では、長男が搾取子で次男が愛玩子です。
酷い片親疎外を行うのは、自己愛性もしくは境界性人格障害者で、児童虐待も行います。児童虐待を行っていた虐待者は、離婚となると、数的な優位を保つために、「離婚相手(標的親)」対 「自分と子供チーム」の対決構造を作り上げます。
その結果、搾取子は愛玩子の一員として引き上げられ、標的親を攻撃するための駒として使われます。
これは、今まさに、僕が目撃していることです。
搾取子の方が洗脳されやすい
疎外親が使う大前提「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」が正しいならば、愛玩子が疎外親の側に立つことはあっても、搾取子が疎外親の側に立つことはないはずです。
疎外親からの片親疎外の洗脳を搾取子は受けにくいはずです。
むしろ、標的親の側に立つはずです。
疎外親は、これまで、散々、自分を虐待し、愛玩子との理不尽なまでの扱いの違い見てきたからです。
しかし、僕が現実として見ているのは、この真逆です。
搾取子である長男の方が深く洗脳されており、僕への激しい拒絶と攻撃を示します。
一方、愛玩子の次男の方が、より深く洗脳されるかというとそうでもあります。
次男は、母親の仕掛ける片親疎外に何等かの疑問を感じつつも、母と兄には逆らえず、僕への拒絶を示しているように見えます。
虐待が愛着と執着を増す
なぜ、虐待を受けてきた搾取子の方が、より深く洗脳されるのかと言うと、虐待を受けることで、子供が虐待親からの愛情をより求めるようになるからです。
虐待を受けることで愛着と執着が増すからです。
子供が片親疎外の洗脳にハマる理由の一つは、そうすることで、子供が親からの愛情を得ることが出来るからです。
虐待親からの正常な愛情を渇望しているところに、片親疎外が始まります。
虐待親からの愛情を受ける機会が訪れます。
虐待親の希望を汲み取り、虐待親が繰り広げる標的親への誹謗中傷に賛同すれば、虐待親からの愛情を貰えます。
これまで受けてきた虐待を回避して愛情を受けることができます。
搾取子の方が、洗脳されやすいのは、彼らが親からの愛情を渇望しているからです。
なぜ標的親からの愛情を求めないのか
搾取子が愛情に飢えているなら、なぜ、疎外親よりは健全な親である標的親からの愛情を求めないのか?と疑問に思うかもしれません。
その理由は、片親疎外の過程で、標的親はすでに親ではなくなっているからです。
子供にとっては、疎外親が唯一の親になっています。
標的親を嫌うように仕向けると同時に自分(疎外親)だけが親であると子供を洗脳します。
他者との関係を切り、自分だけに依存するように仕向ける戦略は、カルト宗教と同じです。
まとめ
疎外親が使う大前提「子供は問題のある親を嫌い、距離を置きたがる」は間違っています。むしろ正反対です。
虐待を受けてきた搾取子の方が愛玩子よりも、虐待親への強い愛着と執着を示し、片親疎外の洗脳を受けやすい事実は、この疎外親が使う大前提が間違っていることを良く示しています。