はじめに
モラハラ妻との国際離婚裁判はもうすぐ3年になろうとしています。
離婚裁判が始まりことさら顕著になったのが妻と義実家による片親疎外。
父親が悪い人間であると洗脳し拒絶するように仕向けます。
洗脳された子供達は父親を拒絶し、暴言、暴力、時に他人にすら言わないような冷たく悪意に満ちた言葉を浴びせます。
自分が片親疎外の標的親となってから、いつも不思議なご縁というか定めだと思うことがあります。僕自身がどういう訳か子供達には好かれることです。
僕の人生全期間において、実子とだけ関係が悪いのです。
それでも、もうすぐ50才になるおっさんですから、この不思議な能力はもう無いのかもと思っていましたが、まだ、健在でした。
子供に好かれる能力は健在だった
自分でも不思議な能力だと思います。
僕は、子供と同じ視点になるように腰を落とすとか、子供言葉で話しかけるとか一切しませんが、どういう訳か子供には好かれて集まって来ます。
子供のころから子供に好かれてましたと書くと何だか変ですがそうなのです。
年に一度か二度しか会わない従弟達ですが、会えば必ず僕の周りに集まり、膝の上に乗ったり、寝ていても体の上に載って来たり、夜は必ず一緒に寝たいと言われて小さな子供達の海で寝てました。
高校や大学生の文化祭などでも外部から子供達も来ますが、いつも、なんだか、同じような状況になってました。
本当に不思議なことだと思うのですが、僕は自分の全人生と通して、自分の子供達とだけ良い関係が築けない状況になっています。これは片親疎外によるもので、離婚する妻からの外圧によるものです。
特に離婚裁判が始まってからは、妻からの片親疎外が苛烈になり、子供達も僕に対する拒絶も苛烈になりました。
僕はただ家族として一緒に過ごす時間が欲しいだけですが、子供達は、ときに刃物を振り回して拒絶します。
僕に刃物を振り向けて拒絶したのは、僕の人生で自分の子供だけです。
本当に不思議な定めだ思います。
それでも、もう、かなりなおっさんですし、今は子供に好かれる能力はもうなくなっているのかもしれないと思っていました。
でも、つい先日、職場の人とその家族と過ごす機会があり、やはり、気付けば、同僚の子供さんが僕の膝の上に座っていました。
やはり、自分の子供とだけ、上手く行かないのか、自分の子供だけが自分のことを悪党だと嫌っているのかだ再認識しました。
不思議な定め
これも何かの定めなのだろうといつも思います。
人の運命は起きた出来事よって決まるのではなく、その出来事をどう解釈するかによって決まるという言葉が最近胸に刺さりました。
この不思議なご縁というか出来事には3つの意味があると解釈しています。
お知らせとギフト
一つ目は将来のお知らせだったのだろうと思います。
あなたは将来実子から拒絶され暴力暴言を受けるようになります。だから、それ以外のすべての子供達に好かれる能力をギフトとして生まれたときから差し上げます。
こんな将来を見越したお知らせだったとギフトだったのかと思います。そして、そのギフトには未だに恵まれたままです。
小さな礎となれ
二つ目はこの情報を発信しろとの導きだと思います。
すべての子供に好かれ集まってくるような人間、子供に限らず他の人達と良好な関係を築ける人間であっても、片親疎外により実子とだけ良好な関係を築けない。
片親疎外の実態を世の中に報告しろとのことだと思います。
片親疎外が酷い部類に入る児童虐待であること、その残酷さや異常性を発信して世の中が変わるための小さな礎となれとの導きだと解釈しています。
僕の発信する片親疎外やナルシシズムの記事が世の中が変わるために役立つことを微力ながら願っています。
片親疎外は必ず解決できる
三つめはこの問題は必ず解決できるとのメッセージだと思っています。
すべての子供達に好かれる能力を持っているのですから、実子とだけ良い関係を築けないはずはありません。
子供達はいつか学びの時が来ます。
この父親を拒絶しているのは自分達だけ。これは一体どういうこと?
この父親と良い関係を築けていないのは実子である自分達だけ。これは一体どういうこと?何が起きた?
そんな日がいつか来ます。
最後に
何だか不思議な定めだと思うことを記事にしました。
僕と同じ経験を持つ標的親の方が多くいると思います。
片親疎外では標的親の方がほぼ100%健全な親です。
実子以外の子供達とは良好な関係を築けているのに実子とだけ良い関係が築けない。
残念ですが、これが片親疎外での現実です。標的親として、これが、どれだけ辛いことか、身を持って体験しているので良く分かります。自ら命を絶ってしまう人がいるのも本当に良く分かります。
でも、きっと何かのギフトもそこにはあるはずだと信じませんか?
何かの導きがそこにあると思えてなりません。