アメリカでナルナルNPD退治の日々

アメリカで国際モラハラ離婚経験。モラ実体験談、アメリカの離婚情報、どん底からの人生立て直しを発信

MENU

モラハラ論法 屁理屈と論点のすり替え

スポンサーリンク

屁理屈と論点のすり替え

モラハラ人間がとても良く使う論法は、「屁理屈と気持ちの悪い方向への論点のすり替え」です。

こう書かれてもどういうことなのか全く理解できないでと思います。

我が家のモラハラ妻の実例を挙げてできるだけ分かり安い記事にしたいのですが、正直このモラハラ論法の気持ち悪さと不毛さが伝わるかどうか自信がありません。

あまりに異常で常人にはどんなに言葉を尽くしても理解不能かもしれません。

 

f:id:afreshstart:20201018125720j:plain

Image provided by John Hain via Pixabay

長男が使った屁理屈と論点のすり替え

このモラハラ論法を紹介するために書いた記事ではありませんが、この「屁理屈と論点のすり替え」が紹介されているものがあります。

 モラ妻とのものではなく、毒母の影響でモラハラ人間化しつつある長男とのやり取りです。

 

 モラハラ妻との会話は記憶に無い

モラ妻の屁理屈と論点のすり替えに苦しんだことは認識しているのですが、いざ記事にしようとすると、具体的にどういう会話があったのかを思い出せませんでした。

仕方がないので、モラハラ被害の証拠にと録音していたものをもう一度すべて聞いてみました。正直辛い作業でした。

聞いて分かったのは、覚えていないのも無理はないということでした。

普通の人間も、そしてモラ妻自身も記憶することは無理です。

論点や話題が常に飛び、また戻り、妻は意図的に論点をすり替えるので、全く中身の無い会話になっているからです。

上で紹介した長男との会話は、まだ、ましな方です。分かり安いです。

実際のモラ妻との会話をそのまま文字起こしても全く理解不能です。

それくらい、屁理屈と論点のすり替えが、洗練されていて、支離滅裂です。

この妻が使った「屁理屈と論点のすり替え」をブログで紹介するのは不可能だと、何度も何度もこの記事を書くのを諦めかけました。

僕自身も被害者当人ですから、自分へのモラハラの録音を聞き、文字起こしするのは辛いです。心が乱れます。その上で内容が全く意味不明なのですから。

これから紹介するものは、出来るだけ分かり安くなるように、会話の順番を入れ替え、言葉を選び直したものです。ですから、実際の会話ではありません。

話題、議題も分かり安いものだけを選びました。

それでも、もしかしたら、かなり分かりにくいかもしれません。

 

 モラハラ妻が使った屁理屈と論点のすり替え

 

 義母との同居

義母との同居は僕に何の相談もなく、妻と妻の家族の独断で始まりました。

「お義母さんとの同居が、僕に全く何の相談もなく始まるって、やっぱりおかしいと思う。僕が、君に全く相談なく、ある日突然、僕の両親を連れてきて、今日からこの家で同居するって勝手に決めたらどう思う?どちらかの親と同居するって、一つの家族にとってはそれなりに大事な決断だよ。それを夫婦の一方には、全く相談無いっておかしいと思う。そういう家族の大事な決定に僕を入れて貰えないって、やっぱり悲しいよ。」

「悲しい!?私のお母さんがどれだけ悲しんでいるか分かっているの!?自分の娘がこんな最低な夫を持って。自分の孫の父親がこんなダメな奴で。自分のことばかり言ってんじゃないよ!」

論点がすり替わっているのが分かりますか。被害者の罪悪感を煽るというモラハラ人間が良くやる手法も現れています。

 

浪費

何度も記事にしてきましたが、モラ妻の浪費は凄まじいです。僕の給料は使い切り、妻の実家から相当な額の援助があります。

「もし、君が働ないというのなら、僕の収入の範囲内で生活が成り立つようにして欲しい。もう、僕らは良い年齢で親から支援を貰って生活するべきじゃない。」

「出来るの!?周りの人に聞いてみて!あんたの安い給料で同じ生活ができるの!?私達がやっている生活があんたの給料で出来るの!?」

この妻の言う「私達がやっている生活」は、僕の給料は使い切り、さらに妻の実家から僕の収入とほぼ同額の支援を受けて、維持している生活のことです。日本円で言うところの一ヵ月80万円ほどを、一切貯金に回さず、使い切って維持している生活のことです。勿論、それを僕の収入(40万円)だけで、できる訳がありません。

僕は、実家からの支援なしでやって欲しいと言っているのに、この実家からの支援も含めての出費を基準にして、今の生活が維持できるはずが無いでしょ!って頭がおかしくなりそうな屁理屈です。伝わりますか。

そして、この後、「私の実家から、これだけのお金を貰っておいて、こんな安い給料であんた恥ずかしくないの!?」と続きます。

だから、その実家からお金を貰わずにやって行こうよって僕が主張しているのにも関わらず、この屁理屈三昧の堂々巡り感が伝わりますか?

最後のは、自分の非を相手に投影する「自己紹介」です。妻の浪費は、僕に非があるような言い回しをして、自分(妻)はそれを注意している立場なのだから、自分(妻)が浪費しているわけではない、自分(妻)には何の問題もないと思い込みたいのです。

違う言い方をすると、妻は自分の浪費が悪いこと、異常なことだと、ちゃんと認識しているということです。でなければ、僕に責任転換する必要はありませんから。

 

 

子供達のピアノレッスン

子供達のピアノレッスンは、一人30分$50です。子供二人週一回だと、月に$400-500です。我が家の家計で考えると大金です。

モラ妻の両親も妻(娘)の学費、半期$8,600を負担していましたし、娘の浪費を流石にこれはマズイと思ったのだと思います。

ある時、突然、義両親が、これ以上はお金を援助出来ないと言い出したことがあります。

自己愛性人格障害者の妻は自分が一番ですから、この場合も自分が学校を辞めて子供達のピアノを続けるという発想にはなりません。

モラ妻は、子供達のピアノレッスンを辞める決断をします。そして、そんなカッコ悪いことは自分ではやりません。最後のレッスンに日だけは、僕に子供達を連れて行かせ、レッスンを辞めることをピアノの先生に伝えるように言いました。

僕は、妻の実家からの援助の無い状態で、このピアノレッスンは家計的に無理だと分かっていたので、レッスンを始めること自体を承認していません。

何とも、理不尽な思いでした。

僕は、レッスンを始めることに反対し、僕の反対を一切無視して始めたことなのに、「今日で辞めます」というカッコ悪い仕事は僕にやらせる。

それでも、勿論、ピアノの先生には辞めることを伝えました。

長男もこの嫌な仕事をしっかりとやっていました。

「先生、ごめんなさい。ママが学校に通っていて、もう、お金がないんです。」

このときは憤りました。こんなみじめな思いを子供にさせるなんて。こうならないために、もう少し、家計を考えろ!計画的にやれ!妻にも義実家にも憤りました。

そして妻本人は、このみじめな役から、逃げているのです。

 

こうやって一度は辞めたのですが、数ヵ月後、僕への相談は全くなく、このピアノレッスンを再開したのです。

僕は当然問い詰めました。

「家計的に無理だから、辞めたんだよね。どういうこと?」

「私の弟が子供達のレッスンのお金を出してくれたの。私の家族のお金だから、あんたにどうこう言われる筋合いはない!」

確かに義弟から、$5,000が振り込まれていました。

それでも、念のためにと僕は妻に釘を刺しました。

「そのお金は、弟さんが、甥っ子たちのピアノレッスンのために出してくれたものだからね。そのお金は、僕らの家計とは別の口座を作って維持して、ピアノレッスン以外には使わないようにしないとだめだよ。弟さんから貰ったお金は、一ヵ月に$400もしくは$500以上は絶対に引き出さないって気概を持って扱わなければいけない。そうすることが弟さんへの敬意と感謝を示すことだと思う。」

モラ妻は、当然、面白くなさそうな顔をしていました。

でも、義弟も絶対にこれを望んだはずです。義弟は、甥っ子たちのピアノレッスン一年分をサポートしたと誇りに思っていたはずです。

ところが、モラ妻は、この弟からのお金で家計とは別にすることはしませんでした。

そして、僕は予想していましたが、案の定、この義弟からの送金$5,000を妻は一ヵ月でレッスン以外の浪費で使い切りました。

当然、弟に次の月もまた$5,000下さいと妻は言えません。

その後は、僕の給料が振り込まれる口座から、レッスン代と称してお金を引き出すようになります。

そこからの会話が以下です。

「子供達のピアノレッスンは、君の実家からの援助でやるってことなんだよね?我が家の家計とは別ってことなんだよね?」

あんた恥ずかしくないの!?これは私の実家からの借金だよ!」

「それは話が違うよ。以前、君の実家からのお金だから、僕はどうこう言う権利はないって君は言ったよ。」

「借金だよ!あんた返す気あるの!恥ずかしくないの!?」

「今になって借金だと言われても納得がいかないって気持ちわかる?もし、借金だというなら、事前に僕に相談するべきだよ。この家族が君の実家から借金をするということなら、僕に相談するべきだよ。子供達のレッスンのために実家から借金をしようと思う。返済のプランはこう考えているけど、どう思うかって相談するべきだよ。

「子供達もこれが借金だって知っているの!子供達に聞いてみて!」

本当に気持ちの悪い論点のすり替え、はぐらかしです。

借金をするなら、夫婦で話し合い、合意が必要だと僕は言っているの対して、子供達は借金だと知っていたから聞いてみろって、この気持ちの悪いはぐらかしが伝わるのでしょうか。

 

「借金だというなら、始めるときに僕に話すべきだよ。」

「話したよ。」

「聞いてないよ。」

「ピアノレッスンを始めるって話したよ。」

「話したって、僕へ相談もなく、始めることが決まっていて、ただ、再開すると言っただけでしょ。」

「そうよ、ちゃんと話したでしょ。」

「そういうことじゃなくて、君の実家から、毎月$4-500の借金をして子供のレッスンを始めようと思うけど、それでもいいか、どう思うかって僕に相談して欲しかったと言ってるんだよ。」

これも、本当に単なる屁理屈です。そして、気持ちが悪い。かみ合いません。

「これ以外にも君の実家はかなりなお金を僕ら家族に出しているでしょ?」

「そうよ!分かっているの!?これまでの私の実家からの借金も全く返す気配もないし、どういうつもりよ!?このお金だってね、空から降ってきたんじゃないよ。お母さんお父さんが、努力してがんばって節約して何年もかけて貯金したものよ!」

いつものことなのですが、妻は、妻の実家からの多額の援助を貰い、自分がそれを一瞬で使い切ることに関して、妻自身は被害者だという立ち位置をとるのです。

この録音を聞いて貰いたいです。妻がこれを言うとき、本当に涙声になるのです。

一体、どういう神経なんでしょう。

 

「だから、そんなご両親や弟さんが何年もかけて蓄えたものを、子供のピアノレッスンくらいで一瞬にして使うべきじゃない。しかも、今回の弟さんからの援助は、ピアノ以外のことで一ヵ月で使い切ったでしょ。弟さんは、不本意だと思うよ。君が本当にご両親からの援助を申し訳ない、返したいと思うなら、ピアノなんか止めて節約して、月に$100でも$200でも返済するべきだって僕はずっと言っているでしょ?」

「あんた、そんな安い給料で恥ずかしくないの!?」

また、いつもの堂々巡りです。

「とにかく、今後、借金をするなら、ちゃんと僕に話して。」

「話したって言ってるでしょ!」

「また、同じことを言わないといけないの?君がしたのは、事後連絡で、ピアノレッスンを再開すると僕に言っただけ。僕が言っているのは、借金をするというのなら、どういう理由でその借金をするのか、どうやって返済するつもりなのかを相談して欲しいってこと。正直に言って、今回のピアノレッスンは、君にも全く返済のプランがないようだし、事前連絡を受けたらなら、僕は反対していた。こんな状況で、ご両親が長い努力の末に貯めたお金を使うのは申し訳なくて僕には出来ない。」

「話すってあんた一体何時に帰ってくるのよ!?」

今度は、僕の帰り時間が遅いことへの非難です。相談していなかったのは、あくまで、僕に責任があると言いたいのです。

流石に僕もカチンと来ました。

「そうだよ。僕は、意図的に君が寝る時間に帰ってくるようにしている。その理由は何度も話した。僕が帰宅して、ただいまと言ったら、君はいつも何て言う?死ねよ!出ていけよ!このカス!必ず、そんな暴言ばかり。こんなやり取りばかりになって、もう、4、5年は経つ。どうして、それで、早く帰って来たいと思う?でもね。僕が遅くに帰るのは、暴言を受けたくないからじゃない。母親が父親にそうやって暴言を吐いている姿を子供達に見せたくないからだよ!彼らは男の子なんだよ。長男が、自分は将来自分の家族は持ちたくないと言い始めているのを君は知っているのか?当然だろ。自分が妻から暴言を受け傷付けられるために、なぜ、結婚なんてしなくてはいけないのかって思って当然だろ!分かっているのか!」

 

終わりに

屁理屈と論点のすり替えのモラハラ論法を出来るだけ分かり安く書いたつもりですが、伝わるかどうか自信がありません。

この何とも言えない気持ち悪さと、不毛感が伝わるでしょうか。

逆に、もし、読んで理解できるという方は、あまりの気持ち悪さに読み進められないのではないかとも思います。

今回、妻からのモラハラの録音を一通り聞き直すのは、かなり辛い作業でした。この記事も数日かけて書きました。実際の会話からは、かなりの修正が必要でした。

第三者がこれらの録音を聞いたら、内容は全く理解できないと思います。議論が全くかみ合わず、話が飛びまくり、支離滅裂だからです。

それでも、おそらく誰でも理解できることは、僕の妻は、終始、自分の非を認めようとせず、僕を攻撃するどのような小さな機会も逃すまいと構えていることです。それから、僕への労わりや思いやりは一切ないということです。

記事では紹介していませんが、僕が妻からの暴言暴力を傷つくから辞めて欲しいと妻に切に訴えたことに対して、妻と義母がゲラゲラと嘲笑しているものもありました。何度聞いても悲しいです。

これらの録音を改めて聞いて僕が気付いたのは、夫婦の会話が、こんな屁理屈と論点のすり替えだらけになった時点で、僕達夫婦は終わっていたということです。

修復の努力はすべて無駄でした。

この記事を読んで、自分達夫婦の会話を見ているようだと感じた方がいるかもしれません。残念ながら、あなた方夫婦は、すでに終わっていると思います。

このレベルの会話になっているなら、おそらく、治らないモラハラでしょう。

今後の人生の振り方を真剣に考えた方が良いです。

 

たとえ、世界中を敵に回しても、僕が君を守る。私だって貴男を守ってみせる。それが夫婦だと思うのです。

世界中の誰よりも、自分を攻撃し傷つけ貶めるのが、自分の配偶者という15年間を僕は過ごしてしまいました。

そんな僕が伝えたいことです。

夫婦の会話が、屁理屈と論点のすり替えだらけになったとき、その夫婦は終わっています。

 

以下の記事でモラハラ論法を総括しています。