今回の離婚の一番の被害者は長男
僕は、現在、アメリカでモラハラ妻との離婚裁判中です。
中学生の長男の落第騒動で開かれたオンライン会議の中、今回の離婚の一番の被害者は搾取子の長男だと思いました。
長男は、会議の中でいろいろと反省を述べていました。
自分の母親までも敵に回り、反省を述べさせられていました。
その何とも言えない傷ついた顔をみて、今回の離婚の一番の被害者は長男だと、申し訳ない気持ちで一杯になりました。
今回の離婚をめぐる騒動の中で、長男は、落ち着いて学校行事をこなせるような状況にはないのです。
両親が激しく争っている事実に嫌でも向き合わされる。
毒母の要求に従い父親を攻撃しなければならない。
それが成功し、父親を追い出せば、次に標的になり虐待を受けるのは自分だ知っている。
こんな状況で学校行事を普通にこなせと言う方が無理です。
愛玩子と搾取子
毒親のよる児童虐待は、すべての兄弟姉妹に平等に行われることは稀で、一人の子供を選び集中的に行われます。
これは虐待者が数的優位を保つための手段です。
二人の兄弟を同じように虐待すると、この二人が手を組んで反撃してくるかもしれません。
そうなると1対2の対決構造になり数的優位が保てません。
だから、一人を選び集中的に虐待します。
また、虐待しない方の子供が中立の立場になっては困り、自分の味方ついて貰わなければなりません。
そのために虐待しない方の子供には、大きな愛情を注ぎ甘やかすことになります。
この愛情を注がれる子供が愛玩子、虐待される子供が搾取子です。
虐待者は、搾取子を虐待し犠牲にすることで精神的な安定を図ります。
虐待される子供は、虐待者の精神安定のために搾取される側なので、これを搾取子と呼びます。
我が家では、次男が愛玩子、長男が搾取子です。
虐待者は数的優位を保とうとする理由は、彼らが自己愛性または境界性人格障害者であり、その特徴として自己肯定力が低いからです。
自己肯定力が低いので自分の外にある権威に頼ろうとします。
その権威の一つの形が、自分が多数派に属していることです。
モラハラ加害者は以下のような言い回しで被害者を攻撃することがよくあります。
「まわりの人は、みんな、あんたがおかしい、変だと言っている」
「そんな常識も分からないのか」
「(一般常識に照らし合わせて)恥ずかしくないのか」
モラハラ加害者が「その他多数」を権威として振りかざし、自分が「その他多数」に属すことで後ろ盾を得ようとする例です。
自分の子供を虐待する場合にも同じことが起きます。
自分を「その他多数」に含める手段として、虐待者は愛玩子と搾取子を作ります。
長男が一番の犠牲者
今回の落第騒動のオンライン会議で傷ついた長男の顔をみて、この離婚の一番の被害者・犠牲者は長男だと改めて認識しました。
彼の立場に立って考えれば、学校行事を普通にこなせる状態ではないのも良く分かります。
両親の争いに巻き込まれる
共同親権が一般的なアメリカでは、離婚に際して子供が一方の親との接触を著しく失うことはありません。
この状況においては、子供は、両親の離婚そのものよりも、両親が激しく争う姿に傷つきます。
僕は子供達の前でだけは普通の母親と父親のように振舞って欲しいと妻には希望しています。
しかし、モラハラ妻にとっては、子供が傷つくかどうかよりも、自分が面白くないと感じていることを表現したり、子供に自分の方が正しい(ママが正しくてパパが間違っている)と認めて欲しい自己承認欲求の方が優先されます。
子供よりも自分が優先です。
どんなに僕が普通の夫婦のように振舞おうとしてもどうにもなりません。
子供達の目の前での面前モラハラ・DVも全く平気で行います。
僕とはコミュニケーションを一切取らないと子供達に豪語する無神経ぶりです。
それでもどうしてもコミュニケーションをとらなければならないときがあります。
そんなとき、僕も妻も、どうしても長男を伝書鳩として使うことになります。
年齢的に次男よりも物事をしっかり理解できるので伝書鳩としての役割は、次男ではなく、長男に頼むことになります。
自分が伝書鳩をする度に、両親が激しく争っていることを認識し、傷ついていることでしょう。
僕自身も長男を伝書鳩として使っているので本当に申し訳ないと感じます。
「ママにこれこれを伝えて欲しい」と僕が頼んだときの長男の傷ついた顔が本当に辛いです。
毒母の要求に従い父親を攻撃しなければならない
一方の親が、悪口を吹き込むなどして、子供達がもう一方の親を嫌うように仕向けることを片親疎外といいます。
こんなことをすれば子供が傷つくのは明らかですが、モラハラ人間は、子供よりも自分の方が大事なので、片親疎外を平気で行います。
我が家のモラハラ妻も全く平気で片親疎外をしています。
子供達は、毒母からのプレッシャーにより、父親を攻撃するように仕向けられます。
もちろん、子供達は実の父親をバカにし、罵声を浴びせ、攻撃する訳ですから、心の底では傷ついている部分もあると思います。
でも、母親の意を汲んで、父親を攻撃すれば、母親から本当に愛おしそうな目で見つめられ抱きしめて貰えるというご褒美が待っています。
このときの子供達の心境は僕にはもう想像できません。
何とも矛盾した感情が入り混じっているのではないかと思います。
こういうとき僕としてはどうして良いか分かりませんが、毒母と同じことはしないと誓っています。
母親の悪口を子供達に吹き込み、子供達に母親を攻撃させることはしないと誓っています。
それから、僕自身は傷ついていないと、子供達からどんな攻撃があってもニコニコとして平気な顔でいるようにしています。
父親を傷つけてしまったと子供達に思って欲しくないからです。
自分のやっていることが成功した後は自分が虐待を受ける
これは愛玩子の次男ではなく、搾取子の長男の独特の苦しみになります。
長男は、次男とは明らかな差をつけられ、母親からの酷い虐待を受けて来ました。
長男への虐待は、現在は、一時休止となっています。
この理由の一つは、義母が帰国したことです。
義母がいる間は、妻は僕と長男の二人を虐待しても、3対2(妻、義母、次男 vs 夫、長男)の数的優位を保てます。
でも、義母が帰国したので、3対1(妻、次男 、長男 vs 夫)の対決構造を作るために長男への虐待は休止しています。
もう一つの理由は、離婚裁判です。
子供への虐待を続けていれば当然裁判で不利になります。
このような理由で長男は母親から苛烈な虐待は受けなくなりました。
でも、長男は、心のどこかで分かっているのです。
父親がいなくなった後は、2対1(母、次男 vs 長男)の対決構造になり、自分が虐待を受けることを分かっています。
そして、その父親を追い出す片棒を自分が担いでいます。
妻は単独親権を主張しており、長男もそれを後押しする形を取らされています。
母親からのプレッシャーのもとで、父親を攻撃し追い出そうとしていますが、その試みが成就したら、次は自分が虐待を受けることを知っています。
第二次大戦中、ユダヤ人虐殺のために手を貸したユダヤ人がいたそうですが、長男は、その人達に近い心境かもしれません。
虐殺されてくれる同胞がいる内は自分の身は安泰だけど、その後は、どうなってしまうのかと不安だったに違いありません。
自分の同胞の殺害に手を貸すことに罪悪感もあったことでしょう。
長男は、以前は自分と同じ立場だった父親を攻撃しなければなりません。
そして、その攻撃が成功した暁には、自分が虐待を受けます。
次男も知っている
実は次男もこのことを知っているのが僕には分かります。
父親を追い出した後は、しばらくは、お兄ちゃんが盾になってくれると知っています。
そして、お兄ちゃんがいなくなった後は、母親の暴力は自分に向かってくることを知っています。
最後に
この離婚の一番の被害者は搾取子の長男です。
伝書鳩をさせられることで、両親が激しく争っていることに嫌でも向き合わされます。
父親を攻撃することを強要されますが、それが成功した後は、母親の暴力は自分に向かうことを知っています。
こんな状況で学業どころではないのは良く分かります。
中学生くらいの子供が背負うには重過ぎることです。
妻に対しては、子供達の前だけでは、普通の夫婦のように振舞って欲しい心から願っていますし、伝えてもいるのですが、彼女にとってはどうにもできないことのようです。
早く離婚を成立させ、50%の親権と監護権を獲得して、少なくとも半分の時間は、親の顔色を伺ったりせず、子供達に安心して過ごして欲しいと思っています。